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大阪地方裁判所 昭和54年(ワ)7932号 判決 1982年2月26日

原告

広田修

法定代理人父兼原告

広田猛夫

法定代理人母兼原告

広田範子

原告ら訴訟代理人

東幸生

被告

中村裕子

訴訟代理人

前川信夫

主文

被告は原告広田範子に対し、金三三万円とこれに対する昭和五四年一二月二〇日から支払ずみまでの年五分の割合による金員を支払え。

原告広田範子のその余の請求、原告広田修、同広田猛夫の各請求を棄却する。

訴訟費用中、原告広田範子と被告との間で生じた分は三〇分し、その一を被告の、その余を同原告の、各負担とし、原告広田修、同広田猛夫と被告との間で生じた分は、同原告らの負担とする。

この判決は、原告広田範子の勝訴部分にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告ら

被告は、原告広田修に対し、金五、五九九万七、一九七円、原告広田猛夫に対し、金二、六二〇万九、二八〇円、原告広田範子に対し、金一、〇〇〇万円と、右各金員に対する昭和五四年一二月二〇日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決と仮執行宣言。

二  被告

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二  当事者の主張

一  原告らの請求原因

(一)  当事者

原告広田修(以下原告修という)は、原告広田猛夫(以下原告猛夫という)と原告広田範子(以下原告範子という)との間に生まれた第三子であり、被告は、肩書住所地で、小児科、産婦人科を専門とする医院(以下被告医院という)を開業している医師である。

(二)  診療契約

原告猛夫、同範子は、昭和五二年八月九日(以下年月日は、特に記載しないかぎり昭和五二年である)、原告範子が原告修の分娩のために被告医院に入院した際、被告との間で、生まれる子供に心身の異常があれば、被告に診療を依頼する旨の診療契約を、原告範子は、同時に、被告との間で、心身に異常があれば、被告に診療を依頼する旨の診療契約を、さらに、原告猛夫、同範子は、同日原告修が出生したのに伴い、原告修の法定代理人として、原告修の心身に異常があれば、被告に診療を依頼する旨の診療契約を、それぞれ締結した。

(三)  被告医院における原告修の症状と診療の経緯

1 原告修は、八月九日午前六時三〇分ころ体重三、三五〇グラムの成熟新生児として出生したが、出生時、顔面蒼白で明らかに仮死状態であり、被告が酸素吸入をして蘇生したものの、一声泣いただけで弱々しい状態だつた。なお、原告範子の羊水には混濁がみられた。

原告修には、同日午後六時ころから可視黄疸が発生した。<中略>

(五)  原告修の現在の状態

原告修は、現在、脳性麻痺のアテトーゼ型四肢麻痺の状態にあり、身体障害者等級表による級別一級の認定を受けている。原告修は、今後、知的発達は期待しうるが、機能的に改善する余地はなく、食事、排便、排尿、衣服の着脱等、全日常生活に介助が必要である。<以下、事実省略>

理由

一当事者間に争いがない事実

請求原因(一)、(二)の各事実、同(三)1のうち八月九日原告修に可視黄疸が発生したことを除く事実、原告修の黄疸が八月一一日には増強したこと、被告が八月一二日午前二時ころから原告修に対しリンコシン三〇〇ミリグラムを三回に分けて注射したこと、原告修は、同日午前九時ころ伊丹市民病院に転院したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二原告修の脳性麻痺を理由とする損害賠償請求について

(一)  被告医院における原告修の症状と診療の経緯

前記争いがない事実や<証拠>を総合すると、次の各事実が認められ<る。>

1  原告範子は、出産予定日が八月八日であつたところ、八月九日午前一時ころ早期破水し、同日午前二時ころ被告医院へ入院した。

原告範子は、同日午前三時三〇分ころ陣痛が始まり、午前六時二四分、原告修を分娩した。原告範子の羊水には混濁がみられたが、その程度は、悪臭を発するものではなかつた。

2  原告修は、体重三、三五〇グラムの満産児で、出生時、仮死状態であつたが、酸素吸入によつて出生後一分以内に蘇生して泣いた。しかし、泣き方は弱く活気がなかつたので、被告は、一分後のアプガースコアを八点とした。出生当日の原告修の状態に特に異常はみられなかつた。

3  原告修には、八月一〇日午後三時ころ、黄疸が認められ、被告がイクテロメーターで測定したところ、イ値一であつた。被告は、黄疸が出るのが少し早いと思つたが、特に異常なものと考えず、特別な措置をとらなかつた。

4  原告修の黄疸は、八月一一日になつて増強し、午後三時ころイ値2.5に上昇した。

原告修は、同日午後からミルクの飲み方が悪くなり、同日午後九時ころからの授乳は、被告医院が行い、ブドー糖とミルクを与えた。

被告は、同日午後九時すぎころ、看護婦から、原告修に発熱があるとの報告を受け、検温したところ、38.3度(ただし、顎下)であつた。被告は、原告範子の破水が早かつたこともあつたので感染症を疑い、抗生剤であるリンコシン三〇〇ミリグラムを同日午後一一時ころから一時間ないし一時間三〇分の間隔で分けて臀筋に注射した。しかし、熱は、下がらなかつた。

5  被告は、八月一二日早朝、原告修を診察したところ、黄疸が急激に増強していることに気づいたので(イ値の測定はしなかつた)、設備のある病院で検査を受ける必要があると判断した。そして、被告は、受け入れ可能な病院を捜し、同日午前八時三〇分ころ、伊丹市民病院の小児科医長訴外厚味勇二医師と連絡がとれ、受け入れ可能との回答を得たので、午前一〇時ころ、原告修を同病院へ連れて行つた。

原告修は、厚味医師の指示で、直ちに同病院に入院することになつた。

(二)  伊丹市民病院での原告修の症状、診療の経緯

前記争いがない事実や<証拠>を総合すると、次の各事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

1  転院時の原告修は、体温37.6度、全身に強度の皮膚黄染があり、ビ値は、総ビ値24.5、直接ビ値8.17、間接ビ値16.33であつた。呼吸は不規則で、腹部が膨満し、筋肉緊張が高く、四肢に緊張ぎみの痙れんが一回あり、興奮状態の涕泣があつた。

原告修は、転院当日の午前一一時三〇分から午後一時まで光線療法を受けたが、その間にも痙れんが時折みられた。

原告修に対する交換輸血は、同日午後二時から午後五時まで行われたが、交換輸血後も黄疸、筋肉緊張が持続し、同夜に痙れんが一回みられた。

2  原告修には、転院当日から八月二二日まで、抗生剤であるビクシリン、ゲンタシン(ゲンタマイシンの商品名)が投与された。

3  原告修は、八月一三日から筋肉緊張が低下し、八月一五日ころから、モロー反射、把握反射、が不完全となつた。

4  伊丹市民病院で行つた諸検査の結果は次のとおりである。

(1) ビ値

検査日 総ビ値 直接ビ値 間接ビ値

八・一二 24.5 8.17   16.33

八・一三 20.41 5.83   14.58

八・一五 16.9 7.58   9.32

八・一七 12.8 6.99   5.81

八・二四 6.99 4.37   2.62

八・三一 9.33 7.00   2.33

九・九 4.96 3.79   1.17

九・一六 4.53 3.88   0.65

九・二七 1.29 0.65   0.64

一〇・四 1.29 0.69   0.60

(2) 一般細菌検査

八月一二日、同月一五日採取した検体を検査したが、いずれも陰性であつた。

(3) 髄液刺激検査

八月一五日採取した髄液による細胞数、細胞種類の検査で特に異常はみられなかつた。

(4) CRP(反応タンパク試験)

八月一二日 プラス一

八月一五日 マイナス

八月一八日 マイナス

八月二六日 プラス0.5

(5) ウイルス検査

トキソプラズマ、HBウイルス、ヘルペス、サイトメガロについての検査が行われたが、サイトメガロ以外は陰性ないし正常値であり、サイトメガロも明らかに感染症を疑うほどの結果とはなつていない。

(6) 血液検査

赤血球、白血球ヘモグロビンの数値からみて、血液不適合などによる溶血はなかつた。

血小板数は、八月一二日二七万四、〇〇〇、八月一三日一〇万八、〇〇〇、八月一五日二三万四、〇〇〇、八月一八日三一万、八月二四日一六万六、〇〇〇であり、八月一三日に血小板数の減少がみられた。

5  厚味医師は、転院時の原告修の所見から何らかの感染症の疑いを持ち、八月一八日には、それまでの経過からみて、トキソプラズマ、ヘルペス、サイトメガロなどによる先天性感染性からの脳炎ではないかと一応判断した。また、伊丹市民病院の小児科医で原告修の担当医であつた訴外竹内某医師は、一〇月六日までの経過から、脳炎を考えるが最終的診断は下せないと判断した。

6  原告修は、一〇月六日、軽快したとして退院した。

(三)  原告修の現在の状態

<証拠>によると、請求原因(五)の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(四)  新生児核黄疸について

<証拠>を総合すると次のことが認められ、この認定に反する証拠はない。

1  核黄疸とは、血液中の間接ビリルビンが脳の神経細胞の中に入つてその神経細胞を破壊することによつて起こる中枢神経系の疾患であり、死を免れても脳性麻痺の後遺症を残す。

2  崩壊した赤血球のヘモグロビンから作られるビリルビンは、血液中のアルブミンと結合して体外へ排泄されるが、(アルブミンと結合したビリルビンを直接ビリルビンという)、アルブミンの結合能力を超えてビリルビンが増大した場合、非結合ビリルビン(間接ビリルビン)が血液中に増える。間接ビリルビンは脂肪に溶け易いため、細胞膜の脂肪にとり込まれ、神経細胞の申に入り、核黄疸を起こす。

核黄疸を起こす因子は、ビリルビンを増加させる溶血(血液不適合はその典型)のほかに、血液中のアルブミンの結合能力、肝臓の代謝機能の低下、脳細胞の脳血流関門の透過性の増加(その未成熟や損傷による)があげられる。したがつて、血中の間接ビ値が低くても、分娩外傷や感染症などで脳が損傷を受けている場合には、脳細胞にビリルビンが入りやすいので、核黄疸を起こすこともある。化膿性髄膜炎を起こしている新生児で、間接ビ値が12.8あるいは6.5であるにもかかわらず核黄疸を起こした剖検例も報告されている。

3  新生児核黄疸の臨床症状は、次の四期に分けることができる。

第一期 発病二、三日

筋緊張低下、嗜眠、吸啜反射減弱、モロー反射減弱

第二期 その後一、二週間

痙性症状、発熱、かん高い泣き声、眼球の異常運動、落陽現象、後弓反張、痙れん

第三期 発病後二週間から一、二か月

痙性症状消褪期

第四期 出生後二、三か月以降

錐体外路症状徐々に出現、アテトーゼ、凝視麻痺、琺瑯質形成異常、聴力障害

これらのうち、第一、二期は、核黄疸の進行期であり、第三、四期は、後遺症の状態である。第一期の段階で交換輸血をすれば、後遺症を残すことはないが、第二期の段階以降では脳の病変が不可逆的なものとなつており、救命できても後遺症を残す可能性が強いとされている。

4  核黄疸としては、アテトーゼ型の脳性麻痺を起こす可能性が多いが、他の原因によつてアテトーゼ型の麻痺になる例や黄疸があつてもアテトーゼ型以外の麻痺になる例もある。したがつて、アテトーゼ型の麻痺の存在からその原因を核黄疸であると速断することはできないし、麻痺の部位からその原因を断定することもできない。

5  日本人の新生児の約八〇パーセントに新生児黄疸がみられるが、その大部分は生理的黄疸で、生後二、三日から黄疸が出始め、総ビ値一二、三をピークにして黄疸が消えていく。成熟児で総ビ値が一五ないし一八を超えた場合に、重症黄疸(高ビリルビン血症)として診断、治療の対象となる。

6  核黄疸の治療法としては、交換輸血、光線療法、酵素誘導法(ACTH、フェノバルビタール、エタノール)がある。光線療法、酵素誘導法は、ビリルビンの増大を抑制するものであり、血中ビ値が核黄疸を起こす危険値を超えていたり、これらの方法でも血中のビ値が増大する場合には、交換輸血によつて血中のビリルビンを除去しなければならない。

しかし、交換輸血は、術中の死亡率が五パーセントとされ、危険な手術であるため、安易に行うことはできない。交換輸血の適応基準は、成熟児の場合総ビ値二五が目安とされており(核黄疸の原因は間接ビリルビンであるが、核黄疸の場合には直接ビ値は通常一前後であるので、臨床的には総ビ値で論じられていることが多い)、これに前記の核黄疸の臨床症状、合併症の有無を総合して交換輸血をするかどうかが判断されるが、これは、臨床医にとつて困難な判断である。

光線療法の適応基準としては、成熟児で合併症等がない場合には、総ビ値一〇ないし一四とも一二ないし一八ともいわれている。

(五)  新生児の中枢神経系感染症について

<証拠>を総合すると、次のことが認められ<る。>

1  髄膜炎、脳炎などの感染症は、グラム陰性菌、サイトメガロウイルス、トキソプラズマなどの細菌やウイルスによつて起こる中枢神経の炎症で、死亡率が高く、死を免れても重大な脳性麻痺の後遺症を残す危険な疾患である。

2  新生児の感染症の臨床症状は、チアノーゼ、呼吸障害、痙れん、嘔吐、発熱、低体温、腹部膨満、黄疸などであるが、極めて非特異的であり、臨床症状だけから診断を下すことは勿論、疑診を抱くことも困難であるとされている。

なお、感染症による黄疸は、肝機能障害から、一般に直接ビ値が高くなる。

3  感染症の確定的診断のためには、起因菌を検出することが必要であり、そのための検査として、血液検査などがある。また、起因菌の検出を目的とするものではないが、感染症の徴候を調べる各種補助検査がある。

しかし、感染症に罹患していても起因菌が発見できなかつたり、諸検査の結果が陰性になる場合もあるから(特に抗生剤が投与されている場合)、起因菌が発見できなかつたり、諸検査の結果が陰性であることから、感染症であることを否定してしまうわけにはいかない。

その感染経路と時期は、通常特定できないが、周産期における胎内又は産道での感染が考えられる。そしてこの感染は、現代の医療では不可避である。

4  感染症の治療には抗生剤が用いられる。抗生剤は、起因菌が判明すれば、その起因菌に適したものを投与するが、起因菌が判らない段階では、広汎な有効性を有する抗生剤を投与する。昭和五二年当時では、ペニシリンとゲンタマイシンを用いるのが一般的であつた。

リンコシンは、新生児に対する安全性が確立していなかつたため、新生児には投与しないことが望ましいとされており、その使用量も新生児に対しては二〇ミリグラムとされていた。

(六)  原告修の脳性麻痺の原因について

1  原告らは、原告修の脳性麻痺の原因が新生児核黄疸によるものであると主張し、被告は、何らかの感染症によるものであると主張するので、この点について検討する。

2  すでに認定した原告修の臨床症状、諸検査の結果、新生児核黄疸、新生児中枢神経系感染症に関する医学的知見に証人美濃真の証言を総合すると、次のことが結論づけられる。

(1) 原告修は、成熟児として出生した。出生時に仮死状態であつたが、一分以内に蘇生しており、アプガースコア八点は正常な範囲内である。

(2) 八月一二日の直接ビ値が8.17と高いことは、感染症を疑わせるし、間接ビ値が16.33であることは、他に何の原因もなければ、成熟児が核黄疸を起こす段階ではない。したがつて、八月一一日夜間の発熱や、八月一二日の痙れん等の症状が核黄疸だけによる第二期症状であるとするには疑問があり、右の発熱や痙れん等が感染症による症状であると考えることも十分可能である。

(3) 八月一〇日午後三時ころのイ値一(総ビ値換算五前後)から二四時間後の同月一一日午後三時ころのイ値2.5(総ビ値換算一二、三)へと、黄疸が急激に増強しているが、これは溶血が激しいか感染症の存在を疑わせる。原告修には血液検査の結果から溶血が認められないから、感染症の存在が推認される。

(4) 他に感染症を疑わせる根拠としては、八月一三日の血小板の減少、八月一二日のCRPプラス一、腹部膨満があげられる。そして、原告範子の異常分娩(早期破水、羊水混濁、仮死)が、感染症に有意義である可能性がある。

判旨3 以上によると、原告修の脳性麻痺の原因としては、何らかの感染症であると考えられるのが自然である。しかし、感染症がある場合には、間接ビ値が低くても核黄疸になることもありうるから、核黄疸の存在を否定してしまうわけにはいかない。すなわち、核黄疸だけによつて原告修の脳性麻痺が生じたことは否定されるが、脳性麻痺の原因が感染症だけなのか、感染症と核黄疸の合併であるのかは不明というほかはない。

したがつて、このような場合、原告らが主張する核黄疸と原告修の脳性麻痺との因果関係の証明はないことに帰着するといわざるをえない。

(七)  被告の債務不履行について

判旨1 原告修の脳性麻痺の原因についての右の判断を前提に、被告の診療上の落度の有無について判断する。

2 原告らは、被告が原告修の黄疸の進行状況、核黄疸の症状の把握を怠つたと主張する。

しかし、原告修の黄疸は、八月一〇日イ値一、翌一一日イ値2.5であり、この段階では、黄疸は生理的黄疸の範囲内であり、他に感染症などがない限り核黄疸の危険はなく、それまでに感染症の徴候は特別みられなかつたのであるから、定時の回診及び看護婦による経過観察以上に特別な措置を必要としたとはいえない。

また、原告修の脳性麻痺が核黄疸によるものであるとの証明がないのであるから、ビ値の測定をしなかつたことを落度とするわけにはいかない。

3 原告らは、被告が原告修に光線療法を施さなかつたことを非難するが、八月一一日午後三時のイ値2.5(ビ値換算一二、三)の段階では、光線療法を必ずしなければならないとはいえないし、原告修の脳性麻痺が核黄疸によるものとの証明がない以上、核黄疸防止のための光線療法をしなかつたことを本件の帰責事由とするわけにはいかない。

4 原告らは、被告のリンコシンの投与が不適切であり、無駄な治療に時間を空費したと主張する。

しかし、原告修の疾患は感染症であつた疑いが一番濃いのであるから、感染症に対する治療をしたことは適切である。もつとも、リンコシンの投与が適切であつたかどうかは問題であり、その投与量も過大であるが、そのことによつて原告修の脳性麻痺が生じたことの証明がないから、リンコシンの投与が本件での帰責事由になるものではない。

5 原告らは、被告の怠慢によつて交換輸血の時期を失つたと主張する。

しかし、原告修の脳性麻痺が核黄疸によるものであることの証明がないから、より早い時期に交換輸血をしていれば原告修の脳性麻痺を回避できたということはできず、この点を被告の落度とするわけにはいかない。

ちなみに、原告修に交換輸血をした医師厚味勇二自身も核黄疸による脳性麻痺の発生防止を主たる目的として右交換輸血をしたものでないことが、証人厚味勇二の証言によつて認められる。

6 原告修の脳性麻痺が何らかの感染症であるとの前提に立つて被告の落度を検討してみても、被告が、発熱のあつた八月一一日午後九時以降、感染症を疑つて抗生剤を投与したことは適切であつたといわなければならない。投与したリンコシンが不適切であつたとしても、リンコシン以外の抗生剤が被告医院になく、しかも、深夜であつたことからすると、リンコシンを投与して経過観察をしたことを非難できず、この時点で設備のある病院へ転院させれば脳性麻痺の結果を回避できたことの証明はない。

(八)  まとめ

被告には、原告修の脳性麻痺と因果関係のある診療上の落度があつたとは認められないから、原告らの原告修の脳性麻痺を理由とする損害賠償の請求は、その前提を欠き、失当である。

したがつて、その余の点について判断をするまでもなく右請求は理由がない。

三被告の後産の不始末による原告範子の損害賠償請求について

(一)  原告範子が、八月一三日、被告から予後の心配はないと言われ、その許可を得て被告医院を退院したことは当事者間に争いがない。

(二)  <証拠>によると、原告範子は、八月一九日ころから、頭がふらつき、倦怠感を覚え、発熱したので、同月二三日、大阪大学医学部付属病院産婦人科で診察を受けたこと、その結果、遺残胎盤と思われる残留物と血液凝固物が発見され、その掻爬を受けたこと、原告範子は、産褥子宮復古不全症、自律神経失調症との診断を受け、九月二七日まで通院加療をしたこと、遺残胎盤があつたことは、被告の後産の不始末によるものであり、このことが産褥子宮復古不全症の原因となつていると推認されること、以上の事実が認められ、この認定に反する被告本人尋問の結果は採用しないし、ほかにこの認定に反する証拠はない。

しかし、原告範子の自律神経失調症が被告の後産の不手際に起因するものであることの証明はない。

(三)  そうすると、被告は、診療契約上の責任として、後産の不始末による原告範子の損害を賠償する義務がある。

(四)  その損害額は、右認定の原告範子の症状、通院加療期間を考慮して、慰籍料金三〇万円と弁護士費用金三万円を認めるのが相当である(原告範子が弁護士である原告ら代理人に本件の訴訟を委任したことは当裁判所に顕著である)。なお、原告範子が治療費として支出した損害額は証拠上明らかでない。<以下、省略>

(古崎慶長 孕石孟則 浅香紀久雄)

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